1.はじめに:本題の前に、「土台」の話をします
私は日々、顎変形症(外科矯正)という領域で、両顎手術を前提とした術後矯正に向き合っています。
治療の表面だけを見ると、そこには「装置」や「手技」や「術式」など、“技術”が並びます。
ただ、臨床の実感としては逆で、技術は最後に現れる「結果」に近い。
もっと手前に、制度があり、教育があり、現場の空気があり、積み重ねられてきた歴史がある。
その上に、私たちの“当たり前”が成立している──そう感じることが増えました。
だからこそ今回は、いきなり治療論に入らずに、
「日本の歯科医療の強みと弱み」を、私が見てきた現場の手触りと、
制度・教育・臨床史の視点から整理してみます。
最初に、心からの感謝を記しておきます。
鶴木隆先生、鶴木三郎先生、そしてこれまで導いてくださった先生方へ。
私はいまも、臨床の要所要所で、いただいた言葉や背中を思い出しています。
過度に美化したいわけではなく、あの環境で学ばせてもらった事実が、私の判断基準を作りました。
2.国民皆保険が「入り口」を広げ、医療を“生活の中”に置いている
日本の歯科医療の最大の強みは、私はやはり「制度が医療の入り口を広げていること」だと思っています。
国民皆保険の仕組みの上に、自己負担が比較的低い形で医療が提供され、歯科もその一部として生活の中にある。
これは、世界的に見ても特徴的です。制度全体の整理としては、厚生労働省の資料が分かりやすいです。
また、日本の医療提供の特徴として「フリーアクセス(紹介状がなくても受診しやすい)」が挙げられます。
これは利便性である一方、別の課題にもつながる点があるので、後ほど“弱み”側で触れます。
【参考文献】https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9690692/
3.「予約の取りやすさ/近さ」が、治療継続のハードルを下げている
矯正治療や外科矯正は、継続性がものを言います。
通院が現実的であること、調整や観察がきちんと回ることは、患者さんの人生の中で大きい。
街の歯科医院が多く、地域の中に治療の拠点があることは、日本の強さの一つです。
ただし、ここには“反作用”もあって、「広く薄く」を成立させるための均霑化(きんてんか)が、革新の速度とトレードオフになる場面があります。
4.全国一律の診療報酬という「標準化装置」が、安定した提供を支える
日本の医療は、制度として標準化が強い。これは良くも悪くも、です。
少なくとも「最低限の水準」を社会として担保しやすい。地域によって“医療の値段”が極端にバラつきにくい。
この「安定」は、患者さんにとって大きい。
一方で、歯科領域でも、保険適用の範囲外(例えば矯正やインプラント等)や、
新しい材料・新しい概念が制度に乗るまでの時間差が生まれやすい、という論点が出てきます。
歯科医療費や制度設計の文脈は、NHIや歯科支出の分析研究が参考になります。
【参考文献】https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10553203/
5.「標準化」が強いほど、“新概念の臨床導入”は難しくなる
ここが、私が現場でいちばん実感する弱みです。
標準化された医療が社会の安心を作る一方で、標準化が強いほど、個別最適・新概念・新材料の導入は摩擦が増える。
これは「遅れている」という単純な話ではなく、社会として何を優先してきたか、という設計の違いです。
欧米と比べて“遅れている”と断定して煽るのは、私は好きではありません。
役割が違う。守っているものが違う。代わりに得ているものもある。
そういう理解の方が、患者さんの意思決定に役立つと思っています。
6.フリーアクセスは強みであり、同時に“患者さんが迷いやすい”構造でもある
紹介状不要で受診しやすいことは、強い。
ただ、選択肢が多いことは、同時に「患者さんが迷う」ことでもあります。
外科矯正は特に、矯正医・口腔外科医・麻酔・病院機能など、チームと連携の質が結果を左右します。
それが見えにくいまま、“医院の数だけ正解がある”状態になりやすいのは、制度の副作用です。
7.源流に触れたからこそ、見えるようになったもの(鶴木クリニックで学んだ姿勢)
私が鶴木クリニックで研修し、強く残ったのは、技術以上に「治療の本質と向き合う哲学」でした。
顎変形症の治療は、噛み合わせだけを揃えれば終わりではない。
骨格、気道、関節、筋、姿勢、そして術後の歯の動きまで含めて、時間軸を持って設計する必要がある。
さらに、海外動向を追うことの意味も、そこで現実感をもって理解しました。
“海外の方が正しい”という態度ではなく、むしろ「世界の中で、自分たちの立ち位置を測り続ける」という姿勢です。
顎変形症治療が、学会や大学病院を中心に、口腔外科と矯正歯科の協働で進化してきたことは、大学の公開情報等からも読み取れます。
8.私が「術後矯正としてマウスピース矯正」を選ぶ理由
ここは誤解されやすいので、慎重に書きます。
私は、マウスピース矯正が“万能”だとは思っていません。適応外は確実にあります。
それでも私が、両顎手術を前提にした術後矯正の文脈で、マウスピースを主軸に置く理由は大きく2つあります。
デジタルシミュレーションによる再現性です。
治療の工程を、矯正医の“手先の主観的手技”だけに依存させない。設計を共有し、工程を標準化し、再現性を上げる。外科と矯正の連携が必要な領域ほど、この利点は効いてきます。
外科領域の3Dバーチャルプランニングの精度については、系統的レビューで「正確で再現性が高い」ことが示されつつも、臨床試験のさらなる蓄積が必要だとされています。患者負担の軽減に寄与しうることです。
清掃性・快適性・日常生活との両立など、患者さんの“生活”側に効く要素がある。もちろん、これも症例と設計次第です。
私が言いたいのは、最先端は目的ではない、ということです。
最先端は、患者利益(治療期間の短縮・負担の軽減・予測可能性・安全性向上)に資する結果としての位置づけであるべきだと思っています。
【参考文献】https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC7716456/
9.結論として、私が言いたいこと:日本の歯科医療は「遅れている」では測れない
日本の歯科医療を一言で評価するのは無理があります。
強みは確かにある。入り口が広く、標準化が強く、生活の中に歯科がある。
一方で弱みもある。標準化が強いからこそ、新概念が浸透する速度は揺らぐ。
ここで私が強調したいのは、「遅れている/進んでいる」を単純に断定しないことです。
もし差があるとしても、それは“10年前後の時差”として現れることがある、という肌感覚はあります。
例えば補綴領域で言えば、
・削る量をできるだけ減らす設計(最小限の侵襲)
・接着を前提とした補綴概念
こういった考え方が「いつ・どの速度で」普及したかは、国や制度や教育の構造で変わり得ます。
私はこの“時差”を、能力差ではなく、制度と文化の設計差として捉えています。
だからこそ、患者さんにとって大事なのは、国の優劣ではなく、
「そのチームが、どこで何を学び、何を拠り所に設計しているか」
そこを見に行くことだと思っています。
【免責事項】
本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、特定の個人に対する診断・治療の指示、特定治療の適応判断を行うものではありません。治療方針は、診察・検査結果に基づき、主治医・専門医と相談の上で決定してください。
執筆者略歴|西川徹
2019年 昭和大学卒業
2019 年昭和大学矯正科、鶴木クリニックにて臨床研修を修了
2020年 本郷さくら矯正歯科に就職
2021 年 東葉デンタルオフィスに就職
2024年 一般社団法人西川矯正審美会 設立
鶴木クリニックにて、マウスピース矯正・両顎手術後のマウスピース矯正を担当



