ここまで、両顎手術(上下顎同時移動術)を含む顎変形症治療が、どのような歴
考え方の上に積み重なってきたのかを、私なりに整理してきました。
最後に、それらを踏まえたうえで、私自身が臨床の中で何を拠り所にしているのか。
その点について、少しだけ書いておきたいと思います。
外科治療も矯正治療も、技術の世界です。
数字で測られ、精度で評価され、結果で語られる。それは事実です。
ただ私は、現場に長く身を置くほどに、技術の“上”にあるものを、より強く意識するようになりました。
それは、「どんな姿勢で医療に向き合うのか」という問いです。
そしてこの問いは、両顎手術という治療そのものが、歴史の中で繰り返し投げかけてきたテーマでもあると感じています。
両顎手術は、思想から始まった
顎変形症(上顎骨・下顎骨の位置や形態の不調和によって咬合や顔貌に問題が生じる状態)を治療する目的は、突き詰めれば「噛めるようにすること」、そしてその結果として生活の質(QOL)を上げることにあります。
実際、顎矯正手術(orthognathic surgery)が患者さんのQOLや満足度に与える影響については、系統的レビューをまとめた論文でも整理されており、機能・審美・心理社会面が絡み合う領域であることが示されています。加えて、治療過程の中で一時的にQOLが低下しうる点(たとえば術前矯正期など)にも言及されています。これは、私が「結果だけでなくプロセス設計が重要」と考える理由の一つです。 PubMed
また、外科手術の術式は「ある日突然生まれた魔法」ではなく、機能回復を軸にした問いの積み重ねで洗練されてきたものです。下顎枝矢状分割術(BSSO/SSRO)に関する歴史的整理では、Obwegeser先生による導入以降、Dal PontやHunsuckなどの改良を経て、世界中で用いられる標準術式へと発展してきた経緯がまとめられています。ここには、機能と安全性を高めるための「改良の思想」がはっきり残っています。 PMC
私はこの歴史を学ぶほど、「見た目を変える」ことが最初に置かれた医療ではなく、まず機能を整えるために術式が進化してきた医療である、という原点に何度も立ち返ることになります。
「機能が整うと、美も整う」──“美容的観点主導”に安易に寄り添えない理由
私は、見た目の変化そのものを否定したいわけではありません。
ただ、構造と機能を無視したまま「美しさだけ」を追いかける医療には、明確な限界とリスクがあると考えています。
顎は噛むための器官であり、噛むことは呼吸・発音・姿勢などとも関わります。
そこを軽視して「小顔」「顎を細く」といった目的だけが主語になったとき、治療の設計が本来の軸からズレてしまう可能性がある。
だから私は、どれだけ時代が変わっても、「機能の回復を中心に据える」という原則を外したくありません。
それでも、進化を止めない理由(=患者さんの負担を減らすため)
一方で、過去を学ぶことと、進化を止めることはまったく別です。
近年、顎矯正手術の領域では、デジタル(3D)によるバーチャルプランニング(VSP)が急速に普及し、計画の再現性や精度に関する研究も蓄積されています。
システマティックレビューでは、術前の仮想計画と術後結果の差が平均で概ね数mm以内に収まるといった形で、「再現性が高い計画法である可能性」がまとめられています(ただし臨床試験のさらなる必要性も明記されています)。 PMC
私はこの流れを、「見栄えの良い最先端」だとは捉えていません。
進化とは、患者さんの負担を減らし、安全性と予測可能性を上げるために行うもの。ここが目的であってほしいと思っています。
さらに、周術期管理の進歩(麻酔・循環管理など)が手術中の出血量に影響しうることも、臨床研究として示されています。例えば、レミフェンタニル使用や血圧変動の抑制が出血量低減と関連したという報告もあり、「手技だけでなく、チームで安全性を組み立てる」重要性を再確認させられます。 PMC
ワンチームとして「設計」を共有する(外科と矯正を分断しない)
私は口腔外科医ではありません。専門は、両顎手術後の術後矯正です。
ただ、私の役割は「手術が終わってから噛み合わせを整えること」だけではありません。
両顎手術では、顎骨をどの方向に、どれくらい動かすのかを手術前に決める必要があります。
そのとき私は矯正医の立場から、
その位置で咬合(噛み合わせ)が成立するか
術後に無理なく歯を動かせるか
長期的に安定する設計になっているか
こうした点を踏まえ、骨の移動量や方向性についても執刀医へ意見を出します。
つまり、「手術のあとを引き受ける」のではなく、手術の設計から一緒に考えるという関わり方です。
外科と矯正を別々の工程として扱わず、一つの治療として組み上げる。ここを外さないことが、結果的に患者さんの利益につながると考えています。
なぜ、術後矯正にマウスピース矯正を選ぶのか
マウスピース矯正が、外科矯正でも検討される理由は、単なる「目立たないから」ではありません。
術後の口腔内は敏感で、清掃性や快適性が治療継続に影響する局面があります。
そしてここは、主観ではなく、研究として比較が行われ始めている領域でもあります。
例えば、顎矯正手術後の矯正をアライナー群と固定式装置群で比較し、歯周指標(プラーク、プロービング深さ、BOP)やQOLがアライナー群で良好だったと報告するランダム化比較試験(RCT)もあります(全ての条件に当てはまるわけではない点は前提です)。 PMC
私がマウスピース矯正を選ぶ理由は、ここから先にあります。
それは、「外科で決めた骨格位置」を前提に、噛み合わせを計画的に、段階的に成立させていくという外科矯正のプロセスと、クリアアライナーが持つ“設計思想”の相性が良いと感じるからです。
デジタルシミュレーションと「再現性」を、治療の中核に置ける
近年、顎矯正手術では3Dのバーチャルプランニング(VSP)が普及し、術前に立てた計画と術後結果の差(再現性)を検証する研究も蓄積されています。VSPに関するシステマティックレビューでは、術前計画と術後結果の差が平均で概ね数mm以内に収まるといった形で、再現性・再現可能性に関する知見が整理されています(同時に、さらなる臨床研究の必要性も明記されています)。PMC
この「設計の精度」が上がるほど、術後矯正もまた、“設計されたゴールに向かって、どの順番で咬合を成立させるか”が一層重要になります。
マウスピース矯正は、歯の移動をステップごとに設計し、計画に沿って進めていく特性があります。
だからこそ私は、外科で決まった骨格の位置を前提に、術後矯正を「その場の調整」ではなく、最初から最後まで一つの設計として扱うための方法として、アライナーを積極的に検討します。
矯正医の“手先の主観”への依存を下げ、工程を標準化しやすい
ワイヤー矯正にはワイヤー矯正の強みがあり、熟練した矯正医の調整は大きな価値を持ちます。
一方で、外科矯正、とくに両顎手術後は「骨格がどう動いたか」「咬合をどう収束させるか」という設計要素が大きく、治療の品質を“個人の勘や微調整”だけに寄せすぎると、再現性の議論が難しくなる局面も出てきます。
私は、これは「どちらが優れている」という話ではなく、“治療をシステムとして強くする”という話だと捉えています。
デジタル計画を中核に置き、工程を見える化し、誰が見ても説明可能な形に寄せていく。そうすることで、患者さんにとっても「なぜ今この手順なのか」が理解しやすくなり、治療全体の納得感や継続性につながると考えています。VSPの精度・再現性が議論されていること自体が、医療が“再現可能性”を重視して進化している証拠だとも言えます。PMC
ただし、全ての症例に適応できるわけではありません
ここは強調しておきたいのですが、クリアアライナーが万能という意味ではありません。
術後の安定性、咬合の状態、必要な歯の移動様式、顎間ゴムの設計、患者さんの協力度などによって、固定式装置が適するケースもあります。
大切なのは「どちらが正しいか」ではなく、その人にとって破綻しない設計はどちらかです。
最後に:私が守りたいのは、医療に対する誠実さ
最後に、私が患者さんに対して一番守りたいものについてお話しします。
それは、医療に対する誠実さです。
「綺麗になるから」
「早いから」
「みんながやっているから」
そうした理由だけで治療を選んでほしくありません。
歴史があり、思想があり、安全性が検証され、改良され続けてきた治療を、
その人に合った形で最適化して提供する。
その積み重ねの先にしか、本当のクオリティは生まれないと私は思っています。
過去を学び、進化を続け、それでも守るべき一線は越えない。
その姿勢を、これからも大切にしていきたいと思います。
リンク
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【参考文献・引用】
厚生労働省:歯科医師臨床研修制度の変遷(制度としての医療教育の背景確認に)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/shikarinsyo/hensen/keii.html
Alkhayer A, et al. Accuracy of virtual planning in orthognathic surgery: a systematic review(VSPの精度・再現性の整理)
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC7716456/
de Leyva P, et al. Orthognathic surgery and aligners… randomized controlled trial(術後矯正:アライナー vs 固定式の歯周・QOL比較)
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10181033/
Schols JGJH, et al. The Modifications of the Sagittal Ramus Split Osteotomy: A Literature Review(SSRO/BSSOの歴史と改良)
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4292253/
Matsuura N, et al. Remifentanil Reduces Blood Loss During Orthognathic Surgery(周術期管理と出血量の関連)
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC5278533/
Eur J Orthod. 2022;44(6):603–613. Quality-of-life improvement…(QOLに関する系統的レビューのまとめ)
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/35511144/
【免責事項】
本稿は一般的な情報提供を目的としており、個別の診断・治療方針の提示を行うものではありません。顎変形症や顎矯正手術、術前・術後矯正の適応判断は、口腔外科・矯正歯科を含む専門医療機関での診察・検査に基づいて決定してください。
執筆者略歴
2019年 昭和大学卒業
2019 年昭和大学矯正科、鶴木クリニックにて臨床研修を修了
2020年 本郷さくら矯正歯科に就職
2021 年 東葉デンタルオフィスに就職
2024年 一般社団法人西川矯正審美会 設立
鶴木クリニックにて、マウスピース矯正・両顎手術後のマウスピース矯正を担当

